新型コロナウイルス感染症と闘う病院にサインミュージックがもたらした変化
雨が降った時に店舗内の来店客に気づかれないよう外の天候の変化を知らせるなど働く人に共通のメッセージを伝える役割を持つ「サインミュージック」。
新型コロナウイルス感染症対策の最前線の医療現場で治療にあたる医療従事者を勇気づけようとする新しい取り組みとして、横須賀市立うわまち病院で導入された医療機関における「サインミュージック」の取り組みを紹介します。
※2021年6月talentbook掲載記事
疲弊した医療現場で求められた「音楽」
神奈川県にある横須賀市立うわまち病院(以下、うわまち病院)では、2020年4月から新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の患者さんの受け入れを開始、患者さんの回復に向けて医師、看護師をはじめ病院の職員が一丸となり、緊迫する医療現場で治療やそのサポートを続けています。
未知の感染症に立ち向かう職員の苦労を、うわまち病院 企画課の二見 彬子氏は目の当たりにしてきました。
二見 「コロナ禍での治療が予想以上に長期化するなかで、私たち職員は日々全力を尽くしています。ですが厳しい現実に直面することも多々ありました。悔しさや無念さを感じることも多く、院内全体の雰囲気も落ち込むことが幾度となくありました。今まで当たり前に行ってきた看護ができない、最期のときでさえ家族と会わせてあげることができないと、嘆き悲しむ看護師の声をたくさん聴きました」
一方で、苦しい状況下でも、重症者として入院されていた患者さんの人工呼吸器が外れて元気になるタイミング、そして、回復して退院していく姿は、職員にとって大きな喜びとなり、励みにもなっていたといいます。
患者さんが回復し、退院していく瞬間が心の支えになっていると話す看護師も多く、その喜びの瞬間をより多くの病院職員と共有するために、うわまち病院では音楽の活用について考えはじめました。
ヒントとなったのは、とあるネットの海外のニュース記事でした。ニューヨークのある病院では、COVID-19で入院した患者が退院する際や人工呼吸器をつけていた方がそれを外すことができた際に、ザ・ビートルズの「Here Comes the Sun」を病棟で流し、患者さんとスタッフが喜びを共有しているということがニュースとなっていました。
二見 「この取り組みを知った当院の感染症病棟スタッフと医師たちが、患者さんの回復をともに喜び、闘いが続くほかの患者さんやコロナ禍で働く病院の職員にもエールを送りたいと希望していることを知りました。病棟で働く医師たち自身も追い込まれた状況のなか、このように周りのスタッフ、患者さんへも思いを馳せる医療従事者の気迫を強く感じました」
一方、院内では権利などの配慮も含めて実現に向けて何をすれば良いのかを考え、いくつかの企業とコンタクトを取りはじめました。なかでも「Smart BGM」を提供するユニバーサル ミュージックからは一番早く返事が届きました。
二見 「早速打ち合わせをさせていただいたのですが『新型コロナウイルス感染症と闘い続ける病院スタッフのために、できることは何でも協力させていただきたい』とお伝えいただきました。心がポッと温まり、心強く感じたことを今でも忘れられません。院内からも喜びの声が多くあがり、ユニバーサル ミュージックさんに問い合わせたその日から8日後には『Smart BGM』の導入に至りました」
この曲しかない──灯となる楽曲「星影のエール」
サインミュージックは、ある特定の意味を持って流されるBGM(バックグラウンドミュージック)のことです。BGMは本来あまり特定の意味を持ちませんが、サインミュージックは流れると同時にそこにいる人々が一定のメッセージを共有するために利用しています。古くは1960年代から、デパートなどで、天候の変化など従業員向けの情報共有を目的に「サインとしてのメッセージに連動する楽曲」を再生するようにしていたようです。
うわまち病院において、コロナ患者さんの回復を伝えるにはどのような音楽が適切か、ユニバーサル ミュージックでSmart BGMを担当している石井 浩之は考えました。
石井 「病棟内におけるサインミュージックということで、ひとつの命が救われたということを、医療従事者の方も退院される患者さんも一緒になって共有できる前向きでメッセージ性のある曲が良いと思いました」
病院スタッフの方々の声を踏まえた末に選ばれたのが、GReeeeNの楽曲「星影のエール」です。
2020年放送のNHK連続テレビ小説「エール」主題歌として毎朝流れていた同曲は、命の大切さや人とのつながり、未来への希望が謡われる歌詞と、勇気を持てるようなメロディーが特徴的な楽曲。
「お互いを照らしあう星のように、離れていても、そしてまた暗闇でこそお互いの光を知る、という人と人の繋がりを描いた曲」というメンバーの言葉のように、様々な不安をかかえる多くの人の心に寄り添う楽曲として、関係者全員の賛同を得ることができました。
二見 「ユニバーサル ミュージックさんのご尽力により、ありがたいことに院内でのサインミュージックとして許可をいただけることになったのです。私たちが果たすべき使命に沿うと共に、このような目的にふさわしい曲だと思います」
サインミュージックが病院にもたらした変化
うわまち病院のサインミュージックとなった「星影のエール」は、新型コロナウイルス感染症から回復した患者さん自身にとっても印象深いものになっていると岩澤 孝昌副院長は語ります。
岩澤 「2021年2月以降、患者さんの退院セレモニーの際にサインミュージックを流すようになりました。皆さんが、『病院でこうしてお見送りをしてもらえると思わなかった、非常に感動した』と言ってくださるのです」
セレモニーに参加できない病棟内のほかの職員にも「星影のエール」は届いています。
岩澤 「この音楽を聴いている職員みんなが、サインミュージックを聞くたびに『今日またひとりの命が救われたんだ』とわかり、胸がほっこりすると話しています。患者さんも職員も、この曲を一生忘れることはないでしょう」
この試みが始まってからの数か月間でサインミュージックとして使われている「星影のエール」は、うわまち病院の医療従事者にとって、いつどこで聞いても、自身を勇気づけてくれる楽曲に変化しています。
岩澤 「私自身、街中で同じ曲を聞くと、『頑張るぞ、また一人の命を救うぞ』という気持ちになるのです」
医療従事者に心から音楽のエールを!
今回のサインミュージックの導入にあたっては、ユニバーサル ミュージックの店舗やオフィスなど業務用配信型BGMサービス「Smart BGM」が活用されました。
同サービスは、ユニバーサル ミュージックの保有する豊富で上質な楽曲やBGM用音源を使用したプレイリストを商用BGMとして利用できるほか、一般向けのストリーミングサービスと異なる音楽著作権を適切に処理することで、これまでは全国の小売店などを中心に導入されてきました。
特定のタイミングや時間に流す楽曲を変えたり予約したりすることもでき、サインミュージックを院内で流す際にもこの機能を活用しています。
Smart BGMの導入に合わせ、うわまち病院ではサインミュージックとして活用するだけでなく、日常的に院内でも時間やシーンに応じてBGMを流すようになりました。
二見 「職場で音楽が流れるようになって、スタッフ同士話をしやすくなったという声を聞きます。『以前は無音のなかで黙々と作業しなくてはいけないというような雰囲気でしたが、音楽があることで話しやすくなりました』と笑って話してくれた看護師がいます。新型コロナウイルス感染症への対応がはじまった初期には、見られない笑顔でした」
もともとSmart BGMは、飲食店や理美容店などの店舗向けに立ち上げた事業。このサービスが医療現場の最前線で活用されたことで、自社の事業でも新たに貢献できることがあることに気づかされたとユニバーサル ミュージックの石井は語ります。
石井 「われわれのように医療とは直接関係のない企業でも、コロナ禍で闘う方々に微力ながらでも貢献することができるんだということを実感でき、心から光栄に思っています。今回の出会いは、ライブなどとはまた違った形での音楽にできることの可能性についても改めて気づくきっかけにもなりました」
二見 「医療に携わる我々が孤独や不安を感じたとき、そっと寄り添い、力づけてくれたもののひとつが音楽でした。「星影のエール」が流れた日は、命がまた1つ未来に繋がったという証。業種や職業を超えて応援してくれる人たちがいて、医療現場で真摯に治療やそのサポートに取り組む人たちにそっと寄り添ってくださっていることを胸に今後も力を尽くしていきます。
ただ音楽を流すのではなく、人のつながりや実現への思いがなければ、今回の取り組みが生まれることはなかったと強く感じています」
医療と音楽の新たな関係が、ここからはじまっていくのかもしれません。