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【社員インタビュー】アーティストを発掘し、ヒットを生み出すA&R──コロナ禍での新たな挑戦

A&RとはArtist&Repertoire(アーティスト&レパートリー)の略称です。アーティストの才能を引き出し、ヒット曲を生み出すプロが世界中の音楽の歴史を作ってきました。ユニバーサル ミュージックの邦楽レーベルのひとつVirgin MusicのA&Rとして、多くのアーティストから信頼を得ている永野 陽三の、ヒットを生み出す仕事観とコロナ禍での挑戦に迫ります。

※2021年10月talentbook掲載記事

デジタル化前夜の音楽シーンで育んだA&Rへの憧れ

永野が東芝EMI株式会社(当時・現ユニバーサル ミュージック合同会社)に入社したのは1999年のこと。CD全盛の時代でした。

永野 「入社後すぐに研修の一環で、CDプレス工場に行ったのですが、大ヒットしている宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』が大量プレスされていたのを覚えています」

A&Rの仕事を志望していた永野にとって、その光景は強く印象に残るものでした。そんな永野はどういった理由から、音楽業界を志望したのでしょうか。

永野 「ご多分にもれず音楽好きが高じてこの業界に入りました。オーディオメーカーの社員だった父の影響は強いかもしれません。家では常に音楽が流れていました」

家庭用カラオケが流行った1980年代に育ち、90年代に入るとラップに夢中になったといいます。

永野 「ビースティ・ボーイズが僕のアイドルでした。当時は、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグといった西海岸のギャングスタ・ラップといわれる音楽が流行りはじめたころです。そうした音楽に影響されてDJをはじめ、仲間内でイベントを開催したりしていましたね」

永野が入社後、最初に配属されたのはアーティストのプロモーションをする宣伝部でした。

出版社の編集部を回って、担当アーティストを人気雑誌の表紙に起用してもらえるように交渉したり、有名ラジオ番組にパーソナリティとして出演できるよう、ラジオ局の担当にアーティストのプレゼンテーションを続けたり。新入社員時代はあちこちの媒体向けに、企画や提案を繰り返していました。

そうした結果の積み重ねが制作部の目に留まり、2002年、永野は晴れてA&Rとしてのキャリアをスタートさせました。

A&Rの醍醐味

A&Rとは「Artist&Repertoire (アーティスト・アンド・レパートリー)」の略称です。アーティストの発掘から契約を担い、そのアーティストの音楽面での制作活動をサポートします。

2021年現在も、永野はVirgin MusicのA&Rとして、複数のアーティストを担当しています。アーティストと二人三脚と言われることもありますが、そんなに簡単な関係ではないと永野はA&Rの厳しさを語ります。

永野 「アーティストは芸術家であり、音楽家です。僕らの仕事は、その才能をどういう風に届けたらみんな好きになってくれるのだろうかということを、想像し、計画し、実行することです。ヒットが出たら成功。スベったら失敗。その責任はA&Rにあると言えます。
また、アーティストの良さをどう届けるかを考え、楽曲がヒットするためのアイデアを出せなければA&Rの存在意義はありません。このクリエイターはどうだろうかとか、このプロデューサーは面白いと思いますとか、この作家と共作で曲を作ったらいい曲が生まれるのではないかとか、広く提案をします。
ほかにも、アーティストがファンやファン以外のリスナーからどんな風に見られているのかを客観的に見て伝える役割も大事だと思っています」

永野自身はアーティストとコミュニケーションを取る際に、一時、洋楽部門に籍を置いたときの経験が役立っていると感じています。

永野 「洋楽部門は邦楽の制作業務とは全く異なり、既にできあがっている楽曲をどのように聴いてもらうかを考えることが仕事です。世界中で聴かれている楽曲に日常的に触れることができますし、どんな楽曲がトレンドなのか、マーケティングにとことん向き合うことで、アイデアを考える訓練になったと思います」

アーティストが理想とする作品づくりを進めるために必要な知識や経験、加えて時代の流れや旬のクリエイターやトレンドなどアーティストのクリエイティブ活動に必要な環境を準備、サポートすることでヒット作品が生まれる瞬間に携わること──それがA&Rの醍醐味です。

コロナ禍での新たな挑戦

この10年ほどのあいだに音楽の楽しみ方は、CDから、ダウンロード配信、ストリーミングサービスへと選択肢が増えました。

永野にとってその変化はテクノロジーやライフスタイルの変化にあわせて「いつの間にか」起こっていたものでした。しかし、2020年の初頭から全世界を襲ったコロナ禍における変化は、これまでにないスピードだったといいます。

永野 「僕たちユニバーサル ミュージックのスタッフも、在宅勤務になりました。世界的にもこれまでにない事態でしたが、『こんなとき何ができるかを考え、新たな才能を発掘しよう』と、在宅でできることをみんなでスタートしました」

永野はチームと共に、これまで以上の頻度でSNSや動画サイトなどをチェックするようになりました。

永野 「あのときは社会人になってから、最も音楽を聴いていたかもしれません。膨大な量の曲を聴いていました。自宅のベランダとかでずっと聴いていましたね。
そして動画サイト上に投稿していた新アーティストを見つけ歌声や個性やパワーに衝撃を受けると、その日のうちにSNSを通じてコンタクトを取ってました」

そうした日々を送った結果、「今では、オンライン上でのやりとりで新しい才能に出会うことが珍しいことではなくなった」と、永野は考えています。

永野 「対面で会わなくてもできることが、実はこんなにもあったと気付けたことがコロナ禍でおこなった挑戦の成果じゃないでしょうか。一度もリアルには顔を合わせることなく契約して、楽曲をリリースすることもありました」

子どもたちがトレンドを作る時代に世界的なヒット曲を

ストリーミング配信が普及し、音楽の楽しみ方も変化を遂げるなか、アーティストに寄り添い続けてきた永野ですが、やることはあまり変わっていないと話します。

永野 「レコード会社の“レコード”ってアナログレコードの黒い円盤のことではなくて、録音(Record)という意味なんです。CDもレコードで、ストリーミングもレコード。YouTubeに音源を上げるのもレコード。同じ楽曲をみんなで楽しむためのツールなんだと思います」

誰もが口ずさむようなヒット曲を世に送り出していくことが、楽しむツールが変わっても揺らぐことのない永野のやりがいです。音楽への親しみ方が変わりつつある現在でも、新しいトレンドを感じ取っています。

永野 「2020年、特にコロナ禍以降音楽のトレンドが変わってきていると思います。ティーンエイジャーがトレンドを作る時代に戻ってきた気がします。今音楽のトレンドを動かしているのは小学生やローティーンの子たちなのかもしれませんね」

その背景を、コロナ禍でこれまで以上に極端な形で、YouTubeと子どもたちの接触量が増えたからではないかと永野は推測します。

永野 「子どもたちがトレンドを作る時代だからこそ、YouTubeを通じたヒットが本格的に狙える時代になりました。日本から世界を目指すアーティストも少しずつ増えてはいますが、海外でも作品が広くヒットするアーティストを輩出できればと思っています」

ヒットするときは社会現象となるような作品が生まれ、ヒットしないときは何も起こらない。A&Rの仕事には、アーティストの才能を生かし切れるかどうかという責任がついて回ります。その責任を自覚し、時代のニーズを読み取りながら、これからも永野はアーティストとともに新しい一歩を踏み出します。

( Text by PR Table / Photo by 杉浦弘樹 foto.Inc )