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【社員インタビュー特別編】音楽業界を目指す皆さんへ...伝えたいレガシー

BOØWY、ウルフルズなど数々のヒット作品に関わったA&R 子安次郎が語る社員インタビュー、最終回となる第四回はエンターテインメント業界を目指す人たちに向けたメッセージです。( 前回までのインタビューはこちら

仕事を円滑にする3つのこと


――業界の大先輩として、これから音楽業界を目指す人や後輩の社員に、「これだけは忘れてくれるな」とか「こうした方がいいよ」というアドバイスはありますか。

 どうなんですかね。私みたいにはならない方がいいってことですかね(笑)。先ほどお話ししたみたいに(「音楽ディレクター子安次郎が語る普遍的A&R論」参照)、私は「才能がない」ってところからディレクター業がスタートしてるから、「私みたいになってくださいね」っていうのも変じゃないですか。
 大滝さんにも「才能のないお前の思った通りの作品が出来たって、それは世の中的には大して面白くないし、ヒットはしない。」とよく言われました。ディレクションする側が、「え!?」と戸惑うような、想像を超えるものが出てきて初めて世の中に響く、刺さるものになるんですよね。そのためには才能のない人間は、才能を集め、その才能を存分に引き出すためにはどうしたらいいかを考えなければいけない。
 だから何かを言い伝えるとしたら繰り返しになってしまうけど、「人との出会い、縁を大事にした方がいいですよ」っていうことと、「自分の役割を理解する」こと、そして「上を見るんじゃなくて、周り(世の中)をよく見なさい」っていうことかな。
 それと一番大事なのは、自分自身を磨くこと。音楽と関係ないことでも、例えば本を読むでもよい、映画を見るでも料理をするでもよいし、書道・華道をするでもよい、そうやって「人として成長する」ことが大事ですね。それによって自分の「引き出し」が増えていく。これにはゴールがないから、やり続ける事が大事ですね。これって言うのは簡単だけどやるのは大変ですよね。「言うは易し 行うは難し」ですね。でも少しの時間でもよいから楽しみながら、やり続けることが大事ですね。人生の断捨離期に入って、どんどんやめる事ばかり増えている私が言っても説得力ないけど(笑)。
 あっそれともうひとつ大事な事。「夢」を持ち続けること。私の大好きな植木等さんに「万葉集」という歌があるんですが、その3番の歌詞がとても良い。「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝子に如(し)かめやも」という万葉集の歌をベースに、永六輔さんが書かれた歌詞(作曲は中村八大さん)ですが、金銀財宝や学校の成績なんかよりも、夢のある子が宝ものという歌。先の見えにくいこういう時代だからこそ、若い人たちにはそれぞれの「夢」を持ち続けて欲しいなと思いますね。

ユニバーサル ミュージックの強みは多様性

――子安さんはユニバーサル ミュージックの強みとは何だとお考えですか?

 それはとにかく、いろんな出自の人がいることですね。歴史的に見て、いろいろな会社、いろいろな人が集まっていますから、今のユニバーサル ミュージックは、とても多様な要素で出来上がってるわけです。それこそがこの会社のアイデンティティで最大の強み。いろんなキャラクターの人がいるっていうことは、いろんなことができる会社なんだろうなと思いますよね。さっきお話しした「役割分担」もそうだし、根っこの違う人がいっぱいいる。1つの木じゃなくて、いろんな木があるわけです。

――寄せ植えみたいな感じですね。

 うん。純粋培養だと、1つのことだけで終わることがあるけど、多様性があるっていうのは、今の時代、こういう変革期においてはものすごくメリットがある。それぞれが発展して成長して、全体が強く、大きくなれる。そもそも日本の音楽自体、いろんな音楽要素が混じり合って生まれてきてますからね。明治維新の時に西洋音楽が入ってきて、戦後は特にアメリカを中心に、イギリス、フランス、イタリアなどの大衆音楽が入ってきて、たくさんの影響を受け、それらが日本古来の伝統や風土と交じりあって、昭和の流行歌、歌謡曲、グループサウンズ、ニューミュージックやシティポップ、J-POPやJ-Rockが生まれた……今のスタイルの演歌にしたって日本古来のものではなくて、西洋音楽、ラテンの影響(※)を受けて出来てるわけだし。

※演歌におけるラテン音楽の影響……日本の演歌を確立した古賀政男は元々はマンドリン奏者。演歌を特徴付けているマイナースリーコードは明治の唱歌「美しき天然」に影響を受けていることがよく知られているが、スペインのナルシソ・イエペスによる「禁じられた遊び」などラテン音楽の影響も大きい。

 歴史を振り返っても、そうやっていろいろなものが交じり合うことによって新しい文化が生まれていくんですね。だから、企業が長く繁栄していくためには、いろんな血が入った方がいい。それがやっぱり長続きするための、発展していくための大事なポイントでしょう。そういう意味でユニバーサル ミュージックっていう会社は、その条件が必然的にある会社だから、みんなが自分の個性で、自分の役割で新しいことをしていって欲しいですね。それが大事かと。

――スマホの普及、YouTubeやサブスクの一般化によって音楽を聴くスタイルも短いスパンでどんどん変わっていっていますが、その流れは、どうご覧になっているんですか。

 私の音楽体験は家に蓄音機やラジオがある時代から始まり、その後テレビやステレオが普及し、ラジカセやカーステレオが主流になり、ウォークマンという画期的な機器が発明され、手軽に音楽を家の外へ持ち出すことが出来るようになった。当時から常に音響機器の進化に伴って音楽を聴くスタイルが変わっていましたよね。そしてインターネット革命によりデジタルで聴くスタイルも、パソコンからスマホ、ダウンロードからストリーミング、単曲課金からサブスクリプションへと変化を続けているけど、その流れの中にいる人は、その流れが早いとはあまり感じていないんじゃないかなと思うんですよ。流れの中にいる人は一緒に流れてるからね。世の中がすごく変わっていても、そのスピードで自分も一緒に走っているから。

――相対性理論ですね。

 私には11歳から1歳までの7人の孫がいるんですけど、この子たちは親のスマホで音楽を聴いている。リビングのテレビは放送を見るのではなく、YouTubeを楽しむための大型画面です。それがこの子たちにとっての「普通」なんですよね。今のスタイルで楽しんでいる。それと聴き方ではなく、音楽そのものに関してですが、最近つくづく感じるのは、この子たちが日ごろ聴いている音楽は私には速すぎてついていけない。でも彼らは耳と体で聴いて、高速のラップみたいなやつを一緒に歌ってるわけですよ。歌詞も見ないで。それが彼らの時代のスピード感だと思うんですよね。そのスピードで生きている子にとっては、別にそれが速いとは感じてない。速いと感じるのは年寄りなんだろうなと。それが時代なんじゃないかなって思いますね。

――新しいものが出てきたら、キャッチアップするために一通りご覧になるんですか。

 見ようと思って見ているわけではないけど、孫たちがうちに来るとテレビを占領してYouTubeで最新ヒットを流したりしてるんですよね。自然とそういうのを聴いて、なんか面白いなと思って調べてみると、かつて一緒に仕事をした、当時の新しい世代だった人たちがプロデュースをしていたりする。そういう人たちが今の音楽シーンを引っ張ってくれているということがわかるのはとても嬉しいですね。

――では、今のところは「ついていけないな」っていう感じじゃないんですね。

 いえ、充分ついていけてないです(笑)。聴くと「面白いな」と思うけど、聴き終わると「あぁ疲れた」と思うこともある。 こんな歳の人間が今の時代のテンポで生きていたらおかしいですよ。

――先ほどのバトンタッチ論に繋がりますね。(「忘れ得ぬ人、仕事/ 後編 」参照)

 そう、上の世代は下の世代に任せられることは任せるのがいい。どれだけ任せられるかが、上の人にとっては大事なことなんだろうなって思う。任せるって難しいんですよね。でもそれによって次の世代が育って行くわけだし。会社が続いていく上でとても重要なことですよね。前にも言ったように、バトンタッチ論を提唱した大滝詠一さん自身が「俺たちの世代(※)はもっと早く次の世代にバトンを渡さなきゃいけなかったのに自分が持って走りすぎた」と言ってましたからね。

※俺たちの世代……大滝氏は1948年生まれなのでいわゆる「団塊の世代」。戦後のサブカルチャーの隆盛を支えた世代と言える。

――今日は数々の示唆に富むお話、ありがとうございました。最後の質問です。この会社で長年働いてきて、今思うことはどんなことですか。

 私はこの会社以外で働いたことがないですし、気が付いたら社名が変わっていたとか、周りがどんどん変わっているだけでね。音楽以外の仕事は、学生時代に喫茶店のアルバイトをしたぐらいで、この仕事以外はよく知らないんです。そもそも才能のない私がよくこれだけ長い間やり続けられたな、と、自分でも感心しますよね。はたから見れば大変だと思われるであろうこともいっぱいありましたけど、それだけやれたっていうことは本当にありがたい話。でもそれは素晴らしい才能を持ったアーティストをはじめ、作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサー、エンジニア、カメラマン、デザイナー、マネージメント、メディア、イベンター、そして会社の先輩、同僚、後輩などなど出会ったすべての方々のおかげであり、感謝しかありませんね。まあ周りにはいろいろと迷惑をかけただろうなとは思いますけどね。特に家族には。身近で支えてくれた家族にも感謝しかないですね。
 いろいろなことを予測できる能力があったあの大滝さんが唯一「お前がこんなに長くこの業界にいるってのは、さすがにそれだけはわからなかったよ」って、1回面と向かって言われたことがありました(笑)。なんて答えていいかわかんなかったですけどね。基本的には、どんなに大変なことがあっても、まあ命を取られることはないだろうから大丈夫って思っていました。大好きな植木等さんの「そのうちなんとかなるだろう」(※)の精神ですね。
 とにかく私の人生、一言で言うと「出会い」。素晴らしい出会いによって生きて来られた人生でした。ほとんど遺言みたいですけど。家に帰るとカミさんに「またろくでもない話してきたんでしょう。年寄りの昔話を押し付けて」なんて言われるんですけどね(笑)。

※「そのうちなんとかなるだろう」……クレイジーキャッツ1964年の楽曲「だまって俺について来い」の決めフレーズ。作詞は子安氏の尊敬する青島幸男。

( Text by 美馬亜貴子 / Photo by 杉浦 弘樹 foto.Inc )


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