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【社員インタビュー特別編】音楽ディレクター子安次郎が語る普遍的A&R論

BOØWY、ウルフルズなど数々のヒット作品に関わったA&R 子安次郎が語る社員インタビュー第三回。この記事では彼が音楽人生の中で培ったA&R論を語ります。( 前回までのインタビューはこちら

ヒットを作るのはディレクターではなく「世の中」

――前回お話してくださったウルフルズもそうですが、アーティストをブレイクさせるまでには試行錯誤の時間が必要ですね。今は世の中の流れが早い分、結果を出すまでのスピードが殊更求められている気がします。

 デジタル化などで確かに時代のスピードは昔より早くなってはいると思いますが、早く結果を出さなければならないという考え方があるのは、私が会社に入った45年前も一緒ですよ。当時の上層部にも「お前ら、アーティストを育てるのに時間がかかりすぎる。早く売れ!」って言われていましたから(笑)。アリスやオフコースみたいにブレイクするまでに何年もかかったアーティストもいましたけど、その一方で「来月すぐ売れるものをやれ」というのもありました。長い目で見てばかりでは会社、潰れちゃいますからね。時間をかけて育てるアーティストと、速効性のあるアーティストや企画、その両方をバランス良くやって結果を出していくことが大事ですね。ディレクターに求められることはバランス感覚や距離感。どこかに寄りすぎると全体が見えなくなってしまう。会社に寄りすぎてもアーティストに寄りすぎてもダメなんです。これは私が“天秤座”だから思うことかもしれませんが(笑)

――そうした座標軸は、常に意識なさってきたんですか?

 「どこにも近づきすぎない」ということは意識しています。常にバランス感覚を持って世の中を見ていなきゃいけないけど、自分の感性が怪しいなと思った時は世の中の感覚に頼ることにしています。例えばどの曲をシングルにするかっていうのはディレクターである私の重要な仕事のひとつですが、30代の後半に入ってからは、親戚の10代の子たちに聴かせたりして判断したこともありましたね。ウルフルズを担当して最初のシングルを決めるときは、3曲候補があって、自分の中ではなんとなくこれかな、という曲は決まっていたんですけど、確信が持てなかったので10代の子たちに会社に来てもらって聴かせたら、彼らは「一番アッパーのやつがいい!」って言う。私はそれとは違うミディアム・テンポの曲がいいんじゃないかなと思っていたんだけど、当時の若い人たちにはそのミディアム・テンポの曲はバラードに聞こえるらしく、なるほど、これが今の時代のテンポ感なのか、と納得したことを覚えています。それで最初のシングルは10代の彼らがいいと言ったアップテンポの「借金大王」という曲に決めました。発売当時ヒットはしなかったけど、ウルフルズというバンドのキャラクターやアイデンティティ、方向性を世の中へ提示していく上で正しいジャッジメントでしたね。自分の感性だけに頼らず、世の中(時代)の声を聞くことの重要性を再認識しました。
 昔からよく言われていますけど、ザ・ビートルズが出てきた時、当時の大人はみんな否定したわけですよ。「こんなのは音楽じゃない」とね。ところが世の中の若者はそれを支持していた。だから私も現場のディレクター時代に役員の前で「新曲できました」って聴かせなきゃいけない時は「頼むから『いい』って言わないでくれ」って思っていましたよ(笑)。年寄りが「いい」って言ったら大変(笑)。もちろん例外もあるけど、『わからない』って言ってくれた方がいいなと思っていた。それが時代っていうものだと思うんですよね。

世の中を見ていれば自分の役割がわかる

――先ほどからお話を伺っていると、常に周囲の人から影響を受けながら、柔軟に、大局観を持って仕事に取り組んできたことがわかります。

 その原点が、また大滝さんなんですよ。「お前は才能がないからディレクターやってんだろ?」って言われたんです。「才能があったらアーティストやってるだろ。いいか、プロデューサーやアーティストは、作品は作れるけどヒットは作れないんだ。ましてや才能のないディレクターのお前にヒットなんか作れるわけがない。ヒットを作るのは世の中なんだよ、世の中」と。だから自分に才能がないなら、才能を集めて、その人たちに才能を発揮してもらえばいい。その人たちの才能を引き出す、それがお前の役割なんだよ、ということですね。大滝さんはよく「世の中には自分の役割を間違えてる人間が多すぎる。今の時代はみんながみんな小さな主役になろうとするけど、脇役も敵役も必要なんだ。いろいろな役割があって主役も光り、それで逆に脇役も敵役も光る。世の中を見ていれば、その中で自分がどんな役割を果たせばいいかがわかる」と言っていました。

――組織の中で働く人間としても、非常に腑に落ちることですよね。それぞれの役割を果たすことで物事が円滑に回っていくわけですから。

 ディレクターになったときに大滝さんからまず言われたのは「出来上がったものを自分が担当だったレコード店に持って行け」ということでした。それで自分がディレクターで作ったものは、まず五番街(*池袋にあるCDショップ五番街。「忘れ得ぬ人、仕事 /前編」参照 )に持って行きました。五番街の方も、自分のところに来ていたセールスマンがディレクターになって作品を持ってきたら「よーし、お前のやつ売ってやるよ! 応援するよ!」って言ってくれますからね。

――それはBOØWYを担当して超多忙だった時も続けていたんですか?

 そう、ずっと続けていました。営業を経験したことの強みですからね。

――なかなか出来ないことですよね。一度繋いだ縁を切らないって。

 制作へ異動になっても加納さん(『五番街』の常務)との付き合いは続いていたんです。一緒に酒飲んだりしてね。よく「人との縁を大切に」って言いますけど、1年間毎日新しい人と出会ったとしてもたったの365人じゃないですか。今は人生100年時代なので100年で単純計算すると36,500人。地球上には70億人ぐらい人間がいるでしょう? 考えると70億分の36,500人って、宝くじの1等当たるより低い確率じゃないかな。大方の人とは一度も会わずに死んでいくわけです。ということは、「出会った人」というのはものすごく貴重な人なんだと思うんですよね。もちろんいろんな人がいますが(笑)

――縁を大切にしながらなさってきたお仕事の中で、ディレクターとして「これは良かったな」というものはありますか?

 出来て良かったなと思ったのは、やっぱり大滝さんに関係することになるけど、2013年に発売した薬師丸ひろ子さんの『時の扉』(※1)というアルバムの制作に関わることが出来たことですね。大滝さんは『ナイアガラ・トライアングル』(※2)というプロジェクトをVol.2までやったんですけど、これは本来3部作のプロジェクトだったのではないかと私は思っていました。というのも大滝さんは常に「3」という概念にこだわっていましたから。「いいか、世の中の大事なことはすべて『3』が基本なんだ。昔から言われているだろう、「石の上にも三年」、「早起きは三文の徳」、「三尺下がって師の影を踏まず」、「三人寄れば文殊の知恵」、「仏の顔も三度」。菌にも良い菌、悪い菌とどちらでもない日和見菌という3種類があるし。だから長嶋の背番号は3だったんだ!」ということをよく言っていました。そう言われてみれば、欽ちゃんの番組は良い子 悪い子 普通の子だし、ウルトラマンは3分だし、カップヌードルも3分、オリンピックは金銀銅、尾張・紀伊・水戸は徳川御三家、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみは三人娘、森昌子・桜田淳子・山口百恵は花の中三トリオ…… 全部「3」だなと変に納得したものです(笑)。ですから「ナイアガラ・トライアングル」もVol.2で終わるのは大滝さんの概念に反する。Vol.3があるべきで、それは何を想定してたんだろう?と思っていたんですよね。ところが、それを聞く前に本人が亡くなっちゃった。
 そしてこの『時の扉』というアルバムの話に戻るのですが、この作品はカヴァー・アルバムなんですが、薬師丸さんは収録楽曲のひとつとして大滝さん作曲の「夢で逢えたら」を選曲されました。実はこのアルバム、クレジットはしていないんですが大滝さんには制作するにあたり、いろいろと相談をさせてもらったんです。アルバムが完成するとすぐに大滝さんが編集作業をしていた乃木坂のスタジオへ音源をお持ちし、マスタリング・ルームで聴いていただきました。アルバム本編の最後、12曲目に入っている「夢で逢えたら」を聴き終わったときのニコッとされた表情が忘れられません。
 しかしこのアルバムが発売された直後に大滝さんは亡くなられてしまった。薬師丸さんはその翌日に『紅白歌合戦』に初出場されるんですが、気丈に振る舞って見事な歌を歌われました。
 そして年が明けて、NHK『SONGS』の大滝詠一特集に鈴木雅之さんと出ることになって。薬師丸さんは角川映画主題歌として大ヒットした「探偵物語」、鈴木雅之さんはラッツ&スター時代の「Tシャツに口紅」を。そして「3曲目」に鈴木雅之さんと薬師丸さんと、生前に録音されていた大滝さん自身の歌唱音源を使った「3人」で「夢で逢えたら」を歌うことになりました。ありえないことですが、この日の番組を収録したNHKの102スタジオには間違いなく、大滝さんがいましたね。そして「夢で逢えたら」の収録が無事に終わったとき、「あ、もしかして大滝さんが考えていたかもしれない『ナイアガラ・トライアングル』のVol.3ってこれなのかも……」と思いましたね。この場面、この瞬間に立ち会えたことはつくづく嬉しかったですね。元ナイアガラ書生、そしてナイアガラの「墓守」の一人として、大滝さんへ少しだけご恩返しが出来たような気がしました。それもひとえに約40年前にアシスタント・ディレクターとして「縁」をつくっていただいた薬師丸さんのおかげであり、彼女には感謝の気持ちしかありません。というわけで『時の扉』というアルバムは私のミュージック・マン人生において、もっとも大切な作品のひとつになりました。

※1『時の扉』……2013年12月4日にリリースされた薬師丸ひろ子によるカヴァー・アルバム。大滝詠一作詞・作曲の「夢で会えたら」を収録しているが、リリース直後の12月30日、大滝詠一が急逝した。

※2『ナイアガラ・トライアングル』……大滝詠一が中心になって結成されたコラボレーション・ユニット。Vol.1(76年発表)は大滝詠一、山下達郎、伊東銀次、Vol.2(82年発表)は大滝詠一、佐野元春、杉真理で制作された。

 もうひとつ良かったことは、2014年にデューク・エイセスの60周年記念アルバム『感謝還暦』をリリース出来たこと。デューク・エイセスは1955年に結成され、1960年に東芝音楽工業が創立される以前の、東芝電気の音楽事業部時代から所属されていた最古参アーティストですが、結成60周年の記念アルバムを発売するにあたり、新曲を2曲レコーディングすることになりました。デューク・エイセスは黒人霊歌やジャズを原点とする4人組男性コーラスグループですから、ブラック・ミュージックに造詣の深い、松尾“KC”潔さんにプロデュースをお願いしました。エグゼクティブ・プロデューサーとしての私からのリクエストは、新録2曲のうち、1曲は松尾さんに書き下ろしてもらうことと、もう1曲は「生きるものの歌」(※3)という楽曲をカバーしてもらうことでした。この曲にバックコーラスで参加していたのが永さんの盟友であるデューク・エイセスなんですが、永さんのアルバムが発売されてからちょうど40年目という節目のタイミングで、結成60周年という節目のデューク・エイセスが歌うというのが必然中の必然ということですね。永さんのオリジナル・ヴァージョンでは間奏での永さんの「語り」が重要なポイントになっている楽曲でしたが、デュークのヴァージョンでもそれを再現してもらうべく、ご高齢で体調のあまりすぐれない永さんに無理を言ってスタジオへお越しいただき、「語り」を収録させていただきました。これが永さんの人生最後のスタジオ・ワークとなったようです。世界中で争いが絶えないこの時代において、この作品はぜひ若い人たちにも聴いてもらいたいですね。永六輔さん、中村八大さん、そしてデューク・エイセスによるプロジェクトの一端に参加でき、過去の遺産を受け継ぎ、名プロデューサーの松尾“KC”潔さんや中村八大さんのご子息である中村力丸さんなどの力をお借りして、新たに命が吹き込まれた作品を次世代に向けて残すことが出来たことは、本当に良かったと思いますね。

※3 「上を向いて歩こう」でおなじみの作詞・永六輔、作曲・中村八大のゴールデン・コンビによる曲。作詞家である永六輔が珍しく自ら歌唱したアルバム『六輔 その世界』(1974年)に収録。

( Text by 美馬亜貴子 / Photo by 杉浦 弘樹 foto.Inc )